さくらの悩み さくらの決断
リコード法にであって2か月。まず最初に苦しむのは・・・
いままでにないストレス。リコード法をやるのはとにかくしんどい。
リコード法がむずかしいという前に、リコード的生活にぶつかっているみたい。
リコード法は、食事、運動、睡眠など生活全部に変化をもとめます。
そうすると・・・
いままでとちがう生活に本人がなじめない。本人まかせにするとすすまない。いやがる本人とまずぶつかる。
さくらにように介助者に協力をお願いすると・・・
あれをしてくれ、あれはするなと要求する。介助者も不満がたまる。こんなことをする意味あるのかと逆にせめられる。不満をぶつける介助者とぶつかる。
人とのぶつかりあい
これがまずもってリコード法をするうえでおおきなストレスになってます。
でもそうだよね。サプリを1日30粒。散歩は毎日30分。夜食は食べちゃダメなどなど・・・さくらは無理です。はいちゃいます。
だからこそ、リコード法に必要なのは、頼りになるサポーターだということをつくづく思います。本人ががんばれるように、いっしょにがんばってくれる人が。
リコード法をしてよかったかの悩みもあります。リコード法ははじまったばかり、わからないことばかり。
いままでとちがうことをして大丈夫かな。もっと悪くなっちゃったらどうしよう。
なにかあったときの責任を負いきれるかなあ・・・
それに若くて進行の早い認知症の場合は、リコード法のような積極的な治療は大切だとさくらも思う。でも、80歳をすぎゆっくり進行していく認知症の場合は、いきぐるしいリコード的生活より好きなように暮らした方がいいのかなあと思ったりもします。ほんとうにリコード法をしてあげることが幸せなのかなあ・・・
さくらはどうしてリコード法をしようと思ったのか。おばちゃんがしたいといったわけではない。義理叔父は介護をやっているという自己愛だけで満足している。ただのさくらの独断に過ぎません。
認知症の人はこのあとどうなるんだろう。
すこしずつ自分がわからなくなって、人間らしい気持ちもなくなっていって、楽しい思い出も悲しい思い出もすべてこっちにおいていってしまって。人として崩壊していく。
お母さんはさくらに、「もう十分したから、おばちゃんのことはいいよ。わたしたち、もうおばちゃんが元気な時にさよならしたから」っていってくれた。
でもね。
さくらはおばちゃんに、元気な時に会って、大丈夫だと思って、つぎにあったら認知症になっちゃってた。
まださよならできていないんだ。
やっぱり、おばちゃんにはおばちゃんらしく生きててほしい。82歳だけど、でも平均寿命は87歳の世の中だ。
だからさくらはリコード法をすることに決断しました。