ことばのちから
あいかわらず目がしょぼしょぼのおばちゃんですが、まずまず元気そうです。あしの腫れはこの前に比べたらすこしはましになったみたい。
前は夜で今日は昼前だったのでそのちがいもあるのかもしれませんが。
まだ少し腫れは残っているようですだけど、ちょっと一安心。今日も足首をうごかすうんどうをいっしょうにがんばってもらいました。
あしのはれがましだと、あるくときもあしがでやすいみたいで。やっぱり、はれてるとふんばるときに痛そう・・・
前はさくらが早くいったときはいっしょにそとをよくあるいていたのですが、最近はおばちゃんの調子をみてそとにでるかきめています。おばちゃんにも散歩のきおくがのこっているのか、「そとにいくときあのふくきてね・・」っていって今日もハンガーにかけてあるふくをゆびさしたりします。
もっともそのあと、「今日は無理みたい…」だって。
あるくのがわるくなっているじかくはおばちゃんにもしっかりあって。自信なくなっているのかな。
まえはね。おばちゃんから、「きょうはそとあるくんだね、このかっこうでいいのかな。」っていってくれてたんだけど。
からだのちからがおちると、ことばのちからもよわくなるのかな、さくらはそう思ったりもしています。
おばちゃんと運動とかやりだしたころは、料理とかどうしているのってきいたら、
「わたしがやってるよ、わたしのしごとだから、わたしがやらないと」なんていってくれてたんだけどね。
これがだんだんと、「おとうさんにやってもらってるの、わたしはみてるだけ」ってかわってきちゃってね。
ことばのちからもだんだんとおちていくのが、やっぱりさくらもさみしくかんじます。
さくらがもっといろいろできるひとだったら、おばちゃんがもっとげんきだったときに、料理とか編み物とかいっしょにやってあげたんだけど、さくらもあんまりできないから。やっぱり、それがちょっと後悔です。
このまえにひきつづき、野菜の名前を思いつくままにいってもらいました。
おばちゃんはしばらくかんがえるのですがなかなかでてこず、「おぼえてないわ」っていうので、おばちゃんにとってはこれはかなりむずかしいみたい。
おばちゃんはどこかにかいてないか、ひっしにさがします。つくえのうえ、てれびのなか、時計のなか・・・。いきなり、予定表を読みだしたりして。
「えっと、5月の・・・」
「ちがう。野菜の名前だよ」
おばちゃん、あたまの中を探してみて。
今日はさくらもねばって、できるだけおばちゃんにがんばってもらいました。
なんとか、「いも・・・」ってひねり出すことに成功(ふぅ)
おばちゃんは、注意力はまずまずなんだけど、言語能力、とくに語想起がかなりおちているみたい。
あたまのなかに言葉ははいっているんだけど、それをひきだすちからが弱くなっています。前頭葉のはたらきが関係しているらしい。
音読とかは前頭葉にいいみたいなんだけどね。川島教授の本はちょっと文章がむずかしいんだ。わざとかもしれないけど、古い文章も多いし。
さくら、こんど本屋に行ったときに、小学生向けの字の大きい本を買ってこようかな。そのほうが、おばちゃんもよんでてたのしいよね。
ながくおばちゃんといっしょに勉強とかやってると、まえよりできないことがふえて、そこに目がいっちゃって。進行する病気だからしかたないのはわかっているんだけど。
でもさくらが弱気になったら、おばちゃんもかわいそう。
わすれたらそのぶんあたらしいことをあたまのなかにいれていこう。
その心意気でさくらもがんばらないと。このごろちょっとマンネリ化しちゃってるし。
いま、さくらが義理叔父にむかしいったことをおもいだした。認知症になって、できないことをしないんじゃなくて、やれることはふやしていこうって。
あたらしい経験はおばちゃんにとってちからになるはずなんだから。