終わりが来るとき
おばちゃんの子供と話をしたんだけど、サプリは飲ませないでほしいといわれました。たぶん、義理叔父が飲ますのが手間で子供にそう言ったんだと思う。
ただ、その根底にあると思うのは、子供自身もサプリの効果を信じていないということだとははっきり感じた。小さな錠剤一つ飲ませることすら拒否したことからもわかる。
言外の意味を理解できるとき、自分が成熟した、いや自分の忌み嫌ういわゆる嫌な大人になってしまったんだなと感じるときでもある。
サプリを飲ませることを説得すること自体ははじめからあきらめていた。なぜなら、向こうは何もリコード法について知らないのだから。無知は強い。
いくら、これはこういう効果があって絶対飲んだ方がいいと話したところで、向こうは、そもそも知らないのだから、あとは信じるか信じないかの問題にしかならない。
けっきょく、さくらが最初の半年で効果を出せなかったことにつきる。くやむべきは、もっと早くマイルドケトーシスを目指すことに重点を置くべきだった。
今後のおばちゃんは、しばらくして家から遠く離れた施設に入ることになるはずだ。もう会うこともほとんどできず、さくらのことも完全に忘れてしまうだろう。
考えると悲しいんだけど、ここが親子でないことの限界だとも思う。
でも、せいいっぱいやったんだ。これは信じてほしい。これまでの5年間よりも、せいいっぱいがんばった1年だった。でも、リコード法って、周りの人の協力がないとできない。信じてくれる人がいないとできない。
終わりが来るときは信じてくれる人がいなくなった時だということは、最初から決まってたことなんだ。
悲しみは通り越したみたい。涙は思ったよりもでなかった。