意味のないことなんだろうか
ブレデセンと立場の近いミヒャエル・ネールス博士の本の一節に次のような文章がある。
「この治療は、主治医や介護者、家族が患者を支えず、治療の邪魔をするようなことがあったら、失敗に終わる可能性もある」
「患者の家族や友人のなかにはこれを信用せず、生活様式を変えるために膨大な努力をするなど無駄で馬鹿げていると思うものは必ずいる」
義理叔父に、おばちゃんのためにたった一日で終わる検査を勧めたことがある。そしたら、もう歳だ。そんな意味のないことはしたくない、という答えが返ってきた。さらに、来た人の名前をみんな、さくらの名前で呼んでいると。もうあたまがおかしくなっているといってた。
でも、本当に意味がないことだろうか。
自分の子供の名前をふたたび思い出せるように頑張ることが。
いままだ心に残っている大切な思い出、自我を守るための記憶を守ることが。
それをすべて失って、さらに生きていくことこそひどく悲しくつらいことではないのだろうか。
おばちゃんが小さな子供が大好きで、その子たちのために仕事を頑張ってきた。そんな教育者であった記憶を。
兄弟がなかよくて、みんなの相談に乗ってきて、いつも適切なアドバイスをしてくれた。そんな、頼りになる姉であった記憶を。
そして、さくらにとって、やさしくて尊敬される自慢のおばちゃんであった記憶を。
さくらは守ってあげたいんです。