近ければ近いほど
米粉パンを通販で注文したのですが、けっこう配送に時間がかかるらしい。そこで、パンが届くまでに、直接店舗で買えるところがないかとさがしてみたところ・・・
とあるところに米粉専門店があったので、直接買いに行くことにしました。
いってお店の人にさっそく成分の確認。
小麦はまったくつかっていない食パンとのことで、ほかに牛乳はつかっていないかきくと(リコード法では乳製品もNG)、脱脂粉乳はつかわれているとのこと。
(たしかに風味を必要だし。最初だしまあいいか。味も大事、大事。)
ということで、4つほど購入して帰ってみると・・・
おかあさんから、
「おばちゃん、たしかロールパンだよ。毎朝食べてたの」(えっ)
朝は食パンを焼いて食べるというおもいこみが、まさかの・・・
(また、義理叔父にパンをやいてくれとたのむのいやだな・・・
ロールパンをやいてたべていることを願いつつ、こんどもっていってみようか・・・)
たいしたことないっておもわれるかもしれないけれど、パンのかたち一つしても、他人が口をはさむのはひとがおもうより気を使うものなんです。
サプリの摂取とかもおねがいしてるし。(ふぅ)
こんどの連休を利用して、おばちゃんのむすこがかえってくるらしい。ちょっと離れてすんでいるので、こんなときくらいしかかえってこないみたいだけど。
むすこはおばちゃんのことどうおもっているのだろう。おばちゃんが認知症になって、さくらと同じようにくるしいんだろうか。ねむれないよるもあるのだろうか。仕事が手につかないときもあるのだろうか。
心の中はみえないけれど。
むすこならではのなやみもあるだろうけど、さくらが感じてるような苦しみやしんどさはたぶん感じてないんじゃないかしら。
苦しければ人はもがく。おぼれたひとはわらをもつかむ。むすこさんがなにかしてるってはなしあまりきいたことがないし。さくらにおばちゃんのことをきいてきたりとかもないし。なにかんがえているんだろう。さくらのこと、どうおもってのだろう。一度聞いてみたいな。
さくら思うんだけど、こころの距離は物理的な距離に比例してるんじゃないかしら。
ちがうとおもってたけど、じつはそうかもしれないかなって。リコード法をはじめてから、とくにさくらはそうおもう。
さくらは週2、3回しかおばちゃんと会わないけれど、会わないときでも、さくらはおばちゃんのことを考えてしまう。そのまま、またおばちゃんに会いにいく。どんどん、こころが重く、しんどくなっていく。
それなのに、さくらがいそがしくなって、週1回しか行けなくなると、最初は気にかけていても、数日たつとだんだんうすれてきて、それをすぎると、不思議とおばちゃんのことを忘れてしまう。
気がつけば自分のことばかり考えている。自分の時間だけ過ごしている。
罪悪感なんてそんなものすぐにきえてしまう。
ただ会わないだけで、こんな苦しかった感情さえ忘れてしまう。残酷なくらい。
背負っていた荷物をどこかに置き忘れたように。
近ければ近いほど、そばにいればそばにいるほど、おもえばおもうほど、苦しい。
寄りそえば寄りそうほど、しんじればしんじるほど、つらい。
さくらだけかな・・・