おばちゃんと二人三脚

おばちゃんと二人三脚

おばちゃんとさくらが一緒に遊んだり運動したり勉強したりしてきた記録です~アルツハイマーの新しい治療法「リコード法」を始めました~

ステレオタイプ

先日の世界アルツハイマーで―では各地で講演会やイベントがおこなわれた。一昔前までは考えられなかったことだが、認知症患者本人も積極的に公の場に参加する姿を見ると隔世の感がある。
その中に、この方もおそらく参加されていただろう。若年性アルツハイマーであることを公表している丹野智文氏である。以前、NHKのドキュメンタリーにとりあげられたり、本も出版されるなど、日本で一番有名な認知症患者の一人といえるかもしれない。

有名なだけあって、認知症の啓もう活動のイベントにもひっぱりだこの様子である。彼のさわやかな風貌と明るい笑顔のおかげで、認知症にまつわる暗いイメージもかなり軽減したのではないだろうか。認知症を患いながらも、工夫しながらあるいは周りの協力を得ながら、働き続けている彼の姿に多くの人が励まされたと思うし、自ら体を張って発信していく勇気は尊敬に値すると思う。

しかし、彼の発言には一抹の不安もぬぐいきれない。たとえば、今年3月に行われた「朝日新聞ReライフFESTIVAL」で彼は、「認知症は治りません。どんどん進行していくと思います。でも、そうなった時にもみなさんがよりよい社会を作ってくれると信じることが、私にとって希望となるんです。」と発言している。
また、彼の著書「丹野智文 笑顔で生きる -認知症とともに」の中で、認知症の進行を遅らせるため日記を付けるなど予防策をすることについて、そんなことをしてもよくならないから無駄だとも述べている。脳トレなど認知症の進行を遅らせる研究も多数ある中でこのような発言は少し無責任な気がする。

彼は、おれんじドアという会の代表も務めており、認知症患者の代表として、認知症患者が住みよい社会を提唱していく、いわばトップランナーのような立場にある。彼のような発信力のある人が、認知症は治らないからいまを楽しく生きればいいと発言することは、認知症がよくなることをあきらめるしかないという一種のプロパガンダになっているような気がする。認知症の本当の恐ろしさから目をそらし、社会が支えるから大丈夫という根拠のない無責任な安心感を与えているだけのようにも思えてしまう。そして、彼が認知症患者が住みやすくなる社会を作ることを訴える一方で、認知症の治療をあきらめる人を増やし、その改善の道を閉ざすための広告塔の役割を担わされていることはなんとも皮肉なことだと思う。

そんな彼も、「僕、認知症です~丹野智文43歳のノート」2018年1月9日に、病気の進行を自覚するような内容の文章を書かれている。病気の進行は緩やかみたいにみえるが、すでに発症から5年経過していることを考えると、今後さらにスピードを上げて病状が進行していかないか気がかりである。そんな状態にもかかわらず、ひたむきに社会活動に邁進する彼の姿をみると、家族を守りたいという彼の思いをよそに、特定の信条を掲げる団体によってかつぎ上げられているのではないかと心配になってくる。
しかし、「認知症とともに」を標榜するおれんじドアという団体の代表となっている彼に、認知症から回復する道、病気の進行をくい止める道に向き合うことは、認知症を患っている本人だからこそその葛藤はわれわれの想像以上だろう。彼はその立場ゆえに、彼自身の信じたものに囚われ続けなければならないと思うとやるせない気持ちになる。

多くのイベントに彼が呼ばれるたびに、彼の存在が、いわば若年性認知症患者のアイコン的立場になりつつある気がするのだが、ステレオタイプを打破するため活動してきた彼が、また新たなステレオタイプになっていくのではないかと思えてならない。